“全然走れませんでした、すみません、ごめんなさい。”
レース後によく聞くし、時には自分も発してしまう言葉である。大きく、誰もがターゲットとするようなレースでは特によく聞く。
けれどもふと冷静になると思うことがある。これら一体”何”に、そして”誰”に対しての “謝罪”なのだろうか、そして必要なものなのだろうか...と。

レースを走る(競技を始めると決めた)のは自らの選択だし、レースの結果は自身のそこまでの取り組みの答え合わせであるはずだ。
決して誰かに”レースを走りなさい”と強制されて戦いに行く人は(少なくとも現代には)殆どいない。誰もが自分の判断で辞める選択肢を持っている。それなのに、ふと”すみません”と口をついて出てきてその場に霧散する。
精彩を欠き、満足のいく走りができなかった時に、虚空に向かって呟くことで、想うように走れず、期待を越えられなかった自らから逃避したい一面もあるのだろう。

その時の結果としては目に見えるものはなかったかもしれない。けれどもそこで得た何かで、次につながるものを掴むことができるかもしれない。アプローチの方法、レースの走り方、足りていない能力…改善を目指すポイントを掴むためのチャンスはいくらでもある。
全てのレースで完璧に走れていたら今頃全てのレースで勝って、レインボーストライプを着ている。
いつも完璧な走りをするなんて誰もできやしないけど、いつもその時できるベストな走りを目指すことはできる。そうするのがあるべき姿だし、それができることが理想だと思う。

なんせトレーニングに完璧はないし、学校のテストのように誰もに統一された答えもない。
あるのはレースという他者に身を委ねることがほとんどな相対評価の世界だ。だからこそ誰も謝罪の言葉を発する必要などないはずなのだ。
確固たる評価軸を持っていれば徐々に進化していけると自分を信じて、コツコツと石を積み上げ続けた者がいずれ救われる、そんな世界に生きていると信じたい。
Photo
Cover:Raito SUZUKI
Inside Text:Yoshiyuki GAMO/AvenirCyclingYamanashi